AGA服薬721日後 問題:「五十にして」の後に何が来る?

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とうとう、50歳になった私。


『論語』でしたっけ?
「孔子」だったかな?

「30にして立つ」「40にして惑わず」なんてーのは、覚えています。40才を「不惑の歳」なんて、言いますもんね。



でも、待てよ。50才は、何だっけ?



ぐぐってみると、

五十而知天命
(五十にして天命を知る)


だそうです。



40才で不惑というのも、私からは程遠いものでした。
50才で、「天命を知る」ですか。

惑いの中にある身なのに、天命を知るところまで行ってまへんがな。30にして立つだって、おぼつかないんだから。



この「天命」をどう解釈するかも、いろいろな意見があるようですね。

天命か~。
俗に言う天命だとしたら、何もわかってはいませんよ。天命を知る気配すらありません。



「これが俺の天命だ!」と言える人って多くないような気がするけど、そうでもないのかな。「天職だ」って言える人なら、まだいるような気はするけどね。でも、それも少ないんじゃないのかな。



私に天命なんて、あるのでしょうか。



「五十にして~」は、Google検索のサジェスチョン候補で、もう一つ出てきました。


『五十にして四十九年の非を知る』


これは、初めて聞きました。
淮南子の『原道訓』というものに出ているみたいです。



意味や解釈は、あえて読みませんでした。
私なりの解釈…、解釈というより印象として、「天命を知る」よりは私に合っているような気がします。

50才になってみて、これまでの49年が間違っていたことを知った。

こんな印象です。



「五十にして」だから、それまでの50年が間違いだったというほうが正しいような気もしますが、0才から1才で1年だから、50才になったときは49年なのか?と頭がこんがらがってしまうところもあったりして……


まぁ、そんなのはどうでもいいんだけど


実際の意味は全然違うのかもしれませんが、50才になってみて振り返ると、やっぱり私の人生は「非」と言わざるをえないように感じているのです。感じているどころか、まさに「非」なのは明白。

こんな50才になるとは思わなかったですからね。



薄毛やハゲになったからでは、もちろんありません。もっと立派な、きちんとした人間(大人)になっている自分を想像していたんですよね。こんなに情けない人生になるなんて、思っていなかった。



は! なるほど、そうか!



私にとっては、これが「五十にして四十九年の非を知る」であり、「五十にして天命を知る」ということなのか。



50才になって49年間の間違いを知ったのならば、それを正していくことがこれからの「天命」ということ。



まぁ、信長の敦盛「人間五十年」にあるように昔は50才くらいで人生が終わっていたと言われていますから、50才から人生を正していく時間なんて無かったのかもしれません。



今の平均寿命は、80才くらいですよね。私が何才まで生きるにしても、ダメダメな人生を素晴らしい人生に変えることが、五十にして知った天命ということなのでしょうか。

みなさんの天命と比べると、なんともちっぽけな天命ですけどね。

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